忘れん坊のDNA1 はじまりのはじまり

先日小2の長女が学校で使うノートを買うというので文具店に付き合った。三種類ほど必要なノートを選び、自分でレジでの支払いを済ませ、「自分で買う」という経験に満足そうな顔をしていた娘。そんな彼女をほほえましく思いながら家路に着いたのだが、帰宅後程なくして「あああーっ!」という大げさな落胆の声が聞こえてきた。

聞けば12マスの国語ノートを買うつもりが8マスのものを買ってしまったという。そういえば家を出る前に、娘は買う物のメモを書いていたが、そのメモ用紙は食卓の上に置かれたままだった。

「なーんだ、そんなこと、あるある、よくあるよ。8マスは家で使えばいいし、妹に譲るのもあり。12マスが必要ならまた買いに行こう。」という私の意見に耳も貸さず、

「もうイヤ!失敗したもん!お母さん買いに行って!私が買ったら間違えるから!」と半ベソ逆ギレの娘である。

「たかがノートの買い間違い、失敗は成功のもと、次に気を付けたらいいやん。私もよく買い物メモ家に忘れてきちゃうことあるわ。お父さんのパッチのサイズよく見ないで買ったらLと間違えて3L買ってきちゃったこともあるで~」などと言って慰めてみた。

ちなみに主人は大きいサイズのパッチ(ズボンの下に履くレギンス)を笑って履いてくれていた。ゆるいけど。

それでも、「あぁあ。私、忘れん坊のお母さんに似ちゃったんだね。」とちょっと失礼な発言も交えてしょんぼりしている娘。私は「そんなのまだまだ。失敗のうちに入らない。ネタにすらならない。」と思いながら、「ジイジ(私の父)なんて学校から帰ってくるのにランドセル置いたまま帰ったとか、銭湯にパンツ忘れたこととかあるんだってー。プププー。」などと言ってみた。

さすが小2。娘はパンツという言葉で笑い出し、まあいいやという気分に変わってくれた。

後日12マスのノートを買ってこの一件は終わったのだが、どうやら長女は祖父の代かもしくはその前から続く由緒正しき忘れん坊のDNAを引き継いだのかもしれない。

ごめん。娘。となんとなく謝りたい気分の母であった。

ところで、間違いなく「忘れん坊」の私にとって、忘れ物は日常茶飯事である。

あらゆる所に傘を置き忘れる。

丁寧に書いた買い物メモを持たずに買い物に出る。

買い物帰りに寄ったレストランに買ったものを置き忘れる。

などは序ノ口で、

ホテルに着替え(それも下着!)を忘れて帰る

鍵を忘れて家に入れず、大家さんに開けてもらう、または家人を呼び戻す

などなど、忘れ物にまつわる恥ずかしい思いや、人様にかけたご迷惑など数え上げたらきりがない。

かつての私は、「忘れ物が多い自分はなんて情けない人間なんだ」とむやみに自己肯定感を下げてばかりいたものだが、今では自分のことを「忘れん坊」と呼び、受け入れることで、自分を過小評価することなく、客観視することが出来るようになった。

それは年齢的な開き直りもあるだろうし、ライフオーガナイズを学んで、自分の行動や思考の癖を俯瞰して見るすべを知ったからでもあるだろう。

さて、このタイトルを「忘れん坊のDNA」と付けた。

なんとなく「忘れん坊」という響きが好きだからだ。

怒っている人を「おこりんぼう」暴れている子を「暴れん坊」など、「ん」の音を入れることで、ちょっとした脱力感を感じシリアスさが薄まるよ うに思う。同様に、忘れっぽい人、忘れ癖のある人、というよりは「忘れん坊」と言う方が、ネガティヴに聞こえない…ような気がする。

これから少しずつ、これまでの私の忘れん坊人生で経験した数々の忘れ物から、感じたり学んだりした事を(忘れてないかぎり)綴っていこうと思う。

私と同じ忘れん坊な誰かや娘が、ププッと笑えて、まあなんとかなるわと心が軽くなってもらえたら、書く意味もあるかなと思う。